ごあいさつ

防災教育学会が、2020年4月1日、スタートしました。

防災教育は「防災」と「教育」という二つの言葉からなっていますが、阪神・淡路大震災以降の防災教育は、「防災」の人々がリードしてきたと言えるでしょう。防災をバックボーンとする研究者、実践者が学校・地域に出向いて防災教育を行なってきたのです。防災教育がうまく機能できていない部分があったとすれば、それは、一つには「教育」の介在が少なかったからではないかと、私は考えています。

 では、教育は何もしていなかったかというとそうではなく、「安全教育」という枠組みで防災も取り扱っていました。安全教育は三つの分野から成り立っています。「日常安全」と「交通安全」そして「災害安全」です。「災害安全」は災害発生時の身の守り方、例えば火災避難とか地震時の身の守り方が中心だったと思います。

防災教育を大きく変えたのは阪神・淡路大震災(1995)です。震災後、兵庫県教育委員会が「防災教育検討委員会」を設置して、委員会はl995年10月には答申を出しました。答申は3つの柱から成っています。ひとつめは、学校が防災拠点となるのだからその機能を備えること、つまり「防災管理」です。二つ目は「防災教育」をしっかり実施すること。最後に当時は「心の健康」と言う表現が使われていましたが、今でいう「心のケア」です。この三つの分野は今も学校防災の柱そのものです。

震災以降、震災体験から学ぶ「新たな防災教育」が兵庫で始まり、全国でも、2000年を過ぎたあたりから、教科、特別活動、総合的な学習の時間を使った防災教育が始まっていきます。東日本大震災(2011)の後も、津波避難訓練だけではなく、海の恵みを考える学習など、自然の脅威と恩恵を取り上げてこどもたちに考えさせる授業、避難訓練と心のケアを一体的に行う実践などが続けられました。

 阪神・淡路大震災前は避難訓練だけだったと言っても良い防災教育ですが、震災後、兵庫では先に述べた「新たな防災教育」が生まれました。それから、対応だけではなく備えも重視した防災教育も始まりました。未災地では、防災と何か別の要素をつなげた防災教育――例えば、扇状地の成り立ち(理科)と土地利用(ぶどうとか、ワインとか、社会)と災害を繋いだ教育――が行われています。私はこれを「防災+αの防災教育」と呼んでいます。東日本大震災後は、臨機応変の判断を自分でできるこどもを育てることを目的とする防災教育も必要になっています。

今後、防災教育は、どんどん広がっていくと考えられます。いやそうしなければならないと思います。

現在の防災教育がカバーする内容は、災害時の対応から、ハザードの理解、備えを教える防災教育へと広がってきています。災害を生き抜くためのミニマム・エッセンシャルズです。さらに、防災教育の内容は、地域の自然、産業、歴史などを含み、あるいは他の分野、例えばボランティア、福祉、行政、などとつながって、総合的な学びになっています。

端的にいうと、「生きる力」を育む教育となっているわけです。ただ、「生きる力」とは何か、人によって考え方、解釈が色々あって面白いのですが。

内容の広がりだけではなく、方法的には、教科横断的な学習、課題解決型の学習、流行りの言葉で言えばアクティブラーニング的な学びまで広がっています。

ここまで広がってきた防災教育を防災、教育、心理、社会、情報、福祉、医療・看護など多様な視点で検討、評価する必要があります。防災教育学会がその場になっていかなければならないと考えています。

防災教育学会には、研究者を始め、大学院生、大学生、教職員、NPO関係者、防災士、語り部、行政関係者、企業関係者など、多様な背景の方々がご参加してくださっています。研究と実践研究の分野を皆さんで切り開いていければと考えています。 今後、どうぞよろしくお願いします。

防災教育学会 会長 諏訪 清二